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山形家庭裁判所 昭和46年(少ハ)2号 決定

本人 T・M(昭二六・六・二五生)

主文

本人を、昭和四七年四月二四日まで医療少年院に継続して収容する。

なお、山形保護観察所長は、本人が少年院から退院するに際して適当な就職先が確保されるよう、早急に環境調整の措置を行なうこと。

理由

右本人は、昭和四五年五月四日当裁判所において、医療少年院送致の決定を受け、盛岡少年院に収容された者で、昭和四六年六月二四日を以て期間満了となるところ、昭和四六年六月二日盛岡少年院長広川良助より、本人は未だ犯罪傾向が充分矯正されず、かつ右少年院における処遇の最高段階に達していないので、ひきつつき、一年間収容を継続すべき旨の決定の申請がなされたもので、その申請事由については、右少年院長作成の昭和四六年六月一日付収容継続申請書添付の別紙意見書に記載のとおりである。

当裁判所調査官の調査報告書、審判における本人および盛岡少年院法務技官照非良彦、同院法務教官小野鉱造の各供述を総合すると上記申請書のとおりの処遇経過が認められ、その処遇経過によると、入院後半年の間に三回に亘り、院生に対する暴行、喫煙等の規律違反行為がみられ、入院当初の院内生活はきわめて不良といわざるを得ない状況であつたこと、右の如き不適応の原因は、主に本人の同院収容が三回目であることから当初から更生意欲を欠き、拒否的態度で入院したことと、本人の自己中心的で軽躁性が著しく、社会的不適応の強い性格的偏りによるものと思料されること、本人はその後次第に落着き、最近は自覚ある行動と向上意欲をもつて順調な経過をたどつており、昭和四六年六月一日に一級の下に進級したこと、今後何等の事故がなければ、昭和四七年一月には仮退院出来る見込であること、心臓弁膜症の疾患については、入院以来症状は可もなく不可もない状態のまま固定化しており、自覚症状もなく、日常生活については過激な労働をさける等の健康管理に留意すれば、何らの支障なく、疾患の故をもつて医学的治療のための収容継続の必要はないというべきであること、又、仮退院後の帰往先については、本人の実父は昭和四三年に死亡し、実母は本人の幼少時に離婚してその所在は不明であり、継母が酒田市に居住しているが、心臓病と白内症で長期間の入院を経て現在生活扶助を受けながら自宅で独り療養中の身である上、本人は継母に対し強い違和感をもつているので、継母に本人の引受を期待することは全く無理であり現在帰住先のあてがないために本人は非常に不安感を強めており、今後更生意欲をもち、生活目標を立てて安定した生活をさせるためにも早急に適切な就職先の確保が必要というべきで、右家庭の事情を考えると保護観察所長の積極的な協力援助による就職先の確保のための環境調整の措置が必要と思料されること、更に、本人にとつて、円滑な社会復帰のためには、単に職場の確保のみならず仮退院後も継続して専門家による補導援助が必要であると認められること、右諸般の事情に鑑みると、本人をただちに退院させることは適当でなく、なおひきつづき収容を継続する必要があると認められ、その収容継続の期間は、仮退院後の保護観察期間を含めて、一〇ヵ月とするのが相当である。

よつて、本人に対しては、昭和四七年四月二四日まで医療少年院における収容を継続するとともに、山形保護観察所長により早急に環境調整の措置が執られることを期待することにし、少年院法一一条二項、四項、少年審判規則五五条、少年法二四条二項を各適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官 伊藤政子)

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